明治維新後には、瀬戸内海の漁民たちが漁場を求めて国外に出漁する事例が増えていった。山口県や広島県の一本釣り漁師たちは台湾、ハワイなどに渡り、打瀬網を使う漁民はフィリピンに出漁した。森本孝は沖家室島の漁民がハワイの漁業の屋台骨を担った状況を明らかにしている。また国内でも、周防大島の漁民が対馬に集落を建設して移住した事例が宮本常一によって報告されている。
瀬戸内海は、20世紀後半まで家船(えぶね)に乗った漁民が活動していたことでも知られている。家船とは木造の小型の漁船に簡易な屋根を装備し、布団や炊事道具など生活用具を積み込んだ船のことである。瀬戸内海の漁民の中には、こうした家船に夫婦単位で乗り込み、生涯を海の上で暮らす者も多かった。彼らの出自については、豊臣秀吉によって解体された村上水軍の末裔なのではないかとの説もある。
太陽にジャンプ
低脳主義
桃太郎君の日記
美しい名前
暮らし発見生活ネット
木枯らし一号
雄太は頑固一徹
両手をひろげて
颯真の以心伝心
アジアの海賊
第二次大戦後、瀬戸内海の漁獲量は爆発的に増加し、ピークとなった1982年には昭和初期の4倍にも達した。しかしその後は環境破壊と乱獲によって資源量は減少し、イワシ、タイ、サワラ、トラフグなど主な魚種の資源量は、回復にほど遠い状況である。アサリも埋め立てなどで生育環境が破壊された為に激減しており、ハマグリはほぼ絶滅となっている。
カキ、ブリ、タイ、ワカメ、ノリなどは養殖も盛んに行われている。広島でのカキの養殖は室町時代までさかのぼる。
佐賀関で上がる「関アジ」「関サバ」、明石で揚がる「明石鯛」「明石蛸」、鳴門のタイ、日出の「城下カレイ」、下関のトラフグなど、全国的なブランド品となっている品目も瀬戸内海には存在している。